あかねさす、光の庭の。
小説「言の葉の庭」も読了しました。
読み終わったときの放心状態
千年たっても変わらぬ人の想い
雪野の秘めた想い、切ないぐらいに響くもの
劇中のさまざまな雨に絡めて、千年前の歌を各章に散りばめ、
ハッと
千年前の人達と今の自分たちの想いってのは何一つ変わってないんだと。
新海誠監督、あなたの想いって・・・
では、「君の名は。」と同様、
この小説にも響いたとこ、たくさんの折り目とマーカーです。
小説読んだ方、映画を観た方、お付き合いください。
では一挙ご紹介。
・……そんなふうにさ、自分だけが特別にかわいそうって思ってる人って、みっともないよ。
・すこしとよみて さしくもり あめもふらんか きみをとどめん
訳:雨が降ったら、あなたはここに留まってくれるでしょうか
・千年たっても人間の心は変わらんわいねえ。古典って素敵じゃろ?
・大丈夫。どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんやけん。
・私たちはみな気付かぬうちに病んでいる。でもどこに健全な大人がいるというのだろう。誰が私たちを選別できるというのだろう。自分が病んでいると知っているぶんだけ、私たちはずっとずっとまともだ。
・雷神の しまし響もし さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
訳:雷が ちょっとだけ鳴って 突然曇って 雨でも降らないかな
あなたを留めたい
・何事にも原因はある。すべては繋がっている。
・目が合うだけで心臓を鷲掴みにされてしまうような、得体のしれない力が彼女には備わっていた。(中略)ある種の自然の風景が見るものに畏怖を抱かせざるを得ないように、百香里はそこにただいるだけで否応もなく圧倒的だった。いったい誰が空を覆う台風や足元を揺さぶる地震を避けることができるだろう。百香里はそういう種類の女だった。そういう人間に出逢ったのは、初めてだった。
・世の中の 苦しきものに ありけらし 恋に堪えずて 死ぬべき思えば
訳:この世にあって 苦しいもので あるようですね 恋に苦しみ
死ぬ思いをしているので
・恋によって弱くなるのではなく、恋によって俺は強くなるのだ。
・鳴神の すこし響みて 降らずとも 我は留まらん 妹し留めば
訳:きみが望むならば、雨なんて降らなくてもここにいるよ
・相聞(そうもん)歌、男女で贈りあう恋の歌だった。
雨が降ったら、あなたはここに留まってくれるでしょうか。
そういう女の歌に対して、
きみが望むならば、雨なんて降らなくてもここにいるよ。
・―今まで生きてきて、今が
ふいに孝雄は思う。
今まで生きてきて、俺は、今が。
今がいちばん、しあわせかもしれない。
今まで生きてきて、今がいちばん、しあわせかもしれない。
雪野はそう思う。
・雷神の しまし響もし 降らずとも 我は留まらむ 妹し留めば
訳:雷が ちょっとだけ鳴って 雨なんか降らなくても わたしはここに留まるよ
あなたが止めるのなら
・―神さま、と雪野は願う。どうかもう少しだけ、私と秋月くんとこの時間が続きますように。私たちの雨が、まだもう少し、やみませんように。
・「わたし、あなたに、救われてたの!」
そしてまた大声で、雪野さんは泣いてしまう。
そしてまた大声で、秋月くんは泣いてしまう。
もう何も言葉にできず、まるで何かに凍えたように、二人はきつく抱き合っている。
・プライドは高いくせに承認欲求に飢えてて、そのくせ他人の価値は認めたがらないの
-あとがき(新海誠)-
・小説に、ずっと片想いをしている。
小説だけではない。漫画にも映画にもアニメーションにも、現実の風景にも、片想いをしているような気がずっとしている。つまり、自分は相手のことが好きなのに、相手は自分のことにそれほど興味もない、という状態。
本を一冊書き上げて得たものは結局のところ、小説とアニメーションに対してのより深い片想い、ということになる。でもまあ、最初から両想いになれることを期待してもいないのだ。
本書の登場人物もまた、多かれ少なかれ皆が片想いをしている。(中略)孤独に誰かを、何かを希求する気持ちが、この世界を織り上げているのだ。
“愛”よりも昔、“孤悲(こい)”のものがたり。
‐解説(神田法子)‐
・「なるかみの すこしとよみて さしくもり あめもふらんか きみをとどめん」は、相聞歌と呼ばれる恋の歌である。相聞とは、文字通り相手の様子をうかがう意味だったが、男女の恋の手段として、一方が投げかけた歌に他方が返すというやり取りが万葉集にも数多く収められている。
・古代から繰り返されてきた相聞の「引力」
・額田女王は皇族で、しかも歴史に名を残す天皇二人を相手にした三角関係をこんなに大らかにのびやかに表現した額田女王の人間的魅力は後世の人々を多く惹きつけた。
雪野の思春期に大きな影響を与えた陽菜子先生の言う「人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしい」という言葉は、万葉集から読み取れるこんな恋の在り方からきているのかもしれない。
引用は以上です。
こうやってまとめてみて思ったこと。
「言の葉の庭」で伝えたかったことってのは、人を想う気持ち、人の想いってのは昔も今も何一つ変わらないんだよってことなんだと。
千年前の人々の想いと
なんちゃかわらん
ちなみに、「君の名は。」は、生きるっていうメッセージだと自分は思っています。
ふと昨年、奈良に行った時のこと思い返されました。
平城京でガイドさんに「今日奈良に来れてお客さん幸運ですよ。中秋の名月が今夜なんですから」と言われ、一つの歌を紹介されました。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
その夜、ホテルの窓から眺めた景色。暗くて山は見えませんが、三笠の山に上る月です。
ああ、遥か昔の人と何も変わらない中秋の名月をみれてるんだ、としみじみと。
そして、東大寺二月堂でみた夕日
いつまでもいつまでも見続けていたかった夕日に心が顕(あらわ)れ、涙が一筋。
また奈良に行ったら、絶対にここに来て沈みゆく太陽を見届けたい。
そして、さっそく次の小説「雲のむこう、約束の場所」を借りて読み始めました。
新海誠ワールドにこの際どっぷりと浸かります!
-追伸-
先日買った、ローソンのUchi Cafe Sweets × GODIVA ショコラロールケーキは、決して甘すぎず、でも濃厚でとーっても美味しかったです。ただ値段が(^^;